コンピュータと私
普段,私は沢山のコンピュータに囲まれて仕事をしています.
(大学の私の6坪ほどの個室内にあるCPUが8つくらいあります.)
いつの間にこんなに身近なものになってしまったかを考えてみると...
- 最初の出会いは...(1977)
- 今をさること,約四半世紀前,高校のクラブ(地学部)の
先輩が,テキサス・インスツルメンツ(TI)社製のプログラム電卓
を持ってきて,それで「棒取りゲーム」を作っていた.
それがコンピュータを意識した最初.
- プログラム電卓を買う(1979)
- 大学に入ると教養の物理,化学実験のデータ処理用に
関数電卓を買わされた.奮発して赤いLED表示のTI社製のプログラム機能付きのを
買ったが,あまり使ったことを覚えていない.
サークル(天文部)の部室に同居していたパソコン関係の
サークルがゲーム(平安京エイリアン)を開発していて,
タダで随分やらせてもらった.
けれども,コンピュータはまだまだ遠い存在だった.
- メインフレーム,ミニコン,ワンボード,....(1980)
- 大学の専門課程に進学して,情報処理演習でFORTRANプログラミング
をした.FORTRANのコーディング用紙を買わされ,カードパンチャーで
穿孔してプログラムを作ったが,うち間違いは辛かった.
ご多分にもれず,FORTRANのFORMAT文を間違えて,ラインプリンタに
白紙の束を築いた.大学院生らしい人が,一度読み終わったカードの束を
すばやく後ろに付ける(つまりコードの再利用)のをみて尊敬する.
- 専門課程の実験ではワンボードマイコンTK-80を使って,
アセンブラで何かを制御することをやったが,何を制御したかは
覚えていない.
- 別の実験では研究室の超レトロなミニコン(HITAC-10)を使った.
最初にトグルスイッチでイニシャル・ローダをビット毎に入力し,
その次に紙テープに穿孔されたローダを読み込み,ついで
プログラムを読み込み,ということを体験した.言語はアセンブラ.
担当の教官が紙テープをかざして読んでいるのに尊敬の念を抱く.
- 卒論で研究室に配属になり...(1982)
- 1982年に卒業研究のために研究室に配属になった.
ミニコンを使って画像処理をする,とのことだったので,修士課程の
先輩と初めてミニコンを使おうとディスクパック(原付のタイヤくらいのもの)
を取り付けてブートしようとしたら壊れた.
しょうがないので,研究室にあった
NEC PC-8001のROM BASICと機械語でプログラムを
組んだ.プログラムははじめはカセットテープにセーブしていたが,
じきに5インチのフロッピドライブがついた.とても値段が高かったことだけ
覚えている.
- 研究室には事務机の天板一杯の大きさの巨大な
レーザプリンタ(Canon製)があった.今は乾式だが,当時は墨汁のような
トナーを入れていた.卒論は当然手書き.
- UNIXに出会う(1982)
- 1982年当時,まだ珍しかったUNIXが大学の計算機センターにあり,
それを研究室から1200/300BPSのモデムでつないでTSSで使っていた.
マシンはDECのVAX750/780で端末はTYPUTER(タイプライタ型端末)と
VT100互換の国産品CIT100.
今から思うと,あの計算パワーのマシンによくも10人を越える
人がぶら下がっていたな,と感動する.
ディスク容量が足りなくなるとエディットしているファイルの保存が
できないので,ディスクの空きをすばやくかき集めてテンポラリの
ファイルを作り,プログラムの保存をする直前にそれを解放する
ことを繰り返していた先輩を見て,人間の状況適用能力に感動する.
- いよいよパソコンが文房具に...(1983)
- 修士課程に入ると,研究室にNEC N5200というワープロ搭載の
パソコン(オフコン?)が入った.巨大な8インチのフロッピドライブが
2つついたやつで,一つがプログラムファイル,もう一つが
文書ファイルを入れるのにつかう.
それと,PC-9801とIBM-5550が研究室に入った.IBM-5550は日本IBMが
日本中の大学にバラまいたもののよう.16ドットの日本語表示をみていた
目には黄色いモニタの上に出る明朝的な24ドットの漢字はとても綺麗にみえた.
- BASICで大きなプログラム(1984)
- 修士論文で垂直多関節型ロボットのシミュレータをBASICで作ったが,
プログラムの行数が2000行を越えるものとなり,
変数2文字の制約下でプログラムを作るのがとても辛かった.
- 研究室にワークステーションがやってくる(1984)
- 修士課程の間に研究室にワークステーションとして
住友電工製SUMIstationが入ってくる.カラーのグラフィックス端末(YAMAHA製)
もついていたが,大部分はキャラクタ端末.
確かハードディスク容量は8MB(?)
当然,ウインドウシステムなどまだなし.
グラフィックス端末のESCシーケンスを使ったグラフィックスライブラリもどきを
作ってCAD的なことを科研の下働きで行う.
- SUNとの出会い(1986)
- 1986年頃にサンマイクロシステムズ社製SUN2/50を購入.
確か400万円くらいしたのではないかと思う.
初めて見るマウスとウインドウシステム(SUNTOOLS)に感動する.
- DG Super MinicomとSony News(1987)
- 神戸大学に異動して新しい研究室にいくと,そこには
かつての名門データゼネラル社の巨大なスーパーミニコンと
SONYのつくった最初のワークステーションNEWSがあった.
NEWSでTeXとFranzLispを使って快適な研究環境を手に入れる.
パソコンはそこにも配られていたIBM 5550を使う.
- Appleとの出会い(1988)
- 教授室に使われずに置いてあったMacintosh Plus & LaserWriter II
を使う.操作性の良さと出力される文書や絵の品質にビックリ.
その当時は軽快に動いていたMicrosoft WordとMacDrawがお気に入り.
- エプソンPC-286V購入(1988)
- 個人のパソコンを初めて購入.EPSON PC-286Vという機種.CPUは80286で
クロックが8MHz(16MHz?)くらいのしろもの.裏技を使ってクロックアップなどした.
同時の日本のパソコンを牛耳っていたNECのEPSONいじめ(PC98互換機に意地悪な
ソフトをつくる)に憤る.
- Sun4/260登場!!(1988)
- 研究室の科学研究費で高速なワークステーションを買うことに.
その当時,3MIPS程度だったワークステーション界に10MIPSマシンとして
華々しく登場したSun4/260を購入.圧倒的なスピードを実感.(今にしてみれば
とっても遅いけれど...)
- プラズマディスプレイのSun互換機導入(1989)
- 研究助成金をもらい,それで個人専用で使うSunOS機を購入することに.
松下コンピュータという会社が代理店をしていたオレンジ色のモノクロの
プラズマディスプレイのついたソルボーン製の一体型のSun互換機を購入.
奥行きが10cmほどでなかなかの優れものだった.
- 自宅でノートPC購入(1989)
- 自宅での論文執筆などのため,エプソンの意欲作,286NOTE Fを198,000円で購入.
当時,重量が2kg強で収まっていたのは驚異的.VZ,FDなどのツールで,
TeXのテキスト執筆に快適環境.
- TITAN3000V登場!!(1990)
- 研究室で新たにグラフィックスワークステーションを導入することになり,
クボタコンピュータが販売する米国スターデント社のTITIAN3000Vを導入.
旗がリアルタイムではためくデモのCGや,可視化ツールのAVSに感動.
大きさは250L冷蔵庫なみ.
- SGI Onyx RE2導入(1993)
- CG業界のあこがれ,Silicon Graphics Onyx Reality Engine2を導入.
その圧倒的な表示速度とOpenGLでのプログラミングに感動.液晶シャッター
グラスも導入して立体視も行う.合わせてIndyも導入.
- 自宅用にApple Centris 660AVを購入(1993)
- 自宅でもマルチメディア環境が欲しくなり,Macを購入.当時,平たい筐体に
当時は珍しいビデオ入力端子が装備されており,8mmビデオで撮った
映像をパソコンに取り込むことができた.
- SGI O2登場(1995)
- Onyx, Indyに続き,SGIのO2を2台,研究室に導入.トースターのような
外観に似合わず,マルチメディアに非凡な能力を発揮する.
- まだまだつづく....